広元からマイクロバスに乗ること1時間ちょっとでココに到着・・・バス停目の前での物売りおじさん。 昔はこういう風景が当たり前だったけど今はどうなってるかなぁ〜w。因みに旅行地図でココに城壁都市が あるのに気が付き急遽やってきたが・・・ココから先の行き方が分らない・・・_|~|O  早速聞き込みを開始、 微妙に発音(?)が異なる四川語に四苦八苦しながらなんとか聞き出し成功!どうやらバスやタクシーなどと 気が利いた乗り物はナッシング(観光地でもなんでもない片田舎なので当たり前だが^^;)なので・・・この辺に 集まってる小さいトラックのおっちゃんに交渉しろとのこと・・・早速交渉(←タクシーでも常にするのが常識) どのくらいかかるのかも分らず相場も分らない(ってか無いと思うけど・・・)のでほぼおいちゃんの言い分どおり に決まる・・・確か・・・30元だったはず♪ということで無事出発>w<)b 因みにトラックってか 日本のサニートラックやダットサントラックに幌をつけた感じの車です♪いやいや・・・違うなぁ〜トラクター みたいな車?だったような気が・・・写真撮っとけばよかったわな・・・(ーωー`)ん〜お馬鹿

出発するとすぐそばの川を渡る模様・・・写真が小さいですが分るでしょうか?橋は近辺には ないので・・・この船?らしき物で向こう岸へ渡ります〜♪しかし船には動力が付いてない、これじゃ イ・カ・ダと同じじゃん(@w@?  はてなどうやって向こう側に渡るんだろ・・・ と様子を見る・・・というかトラック?ごとイカダに乗って待機・・・しばらくしてトラック&人が 一杯になると・・・なんと最後の一台のトラックが勢い良く・・・走りこんできて イ・カ・ダの上で急停車!!・・・・なるほどねその勢いで前に進むのね^w^)b どうりで動力が要らないわけだ(納得  ちなみにイカダの両脇には太いワイヤーが通してあるので 前後だけに進む仕掛けで・・・船の前後の床?は可動式でそのまま岸にずずずと乗り上げる構造でした。 因みに無料ですな´,_ゝ`)ナイスです。

無事川岸を渡るとそこは一面の麦畑が続いているのである。なるほどこの麦を 収穫したものを運ぶのに町(数十人って規模なのでむしろ村か・・・)に沢山トラックもどきが待機してるのね (ーωー`)ほむほむ  
快調に走っていると・・・おいちゃん(運転手)の顔見知り?みたいな人が 走って乗り込む・・・・´・ω・`む・・・あたし一人の貸切なのにと思いつつまぁ・・・良いかとスルー(ーωー`) 中国じゃ良くあること(えぇ〜   どうせ4-5人は乗れるんだから良いか。お客さんはちょっと乗ったら途中下車 していきましたとさ。
もうしばらく走っていると・・・背負子(漢字あってるのかな´・ω・`?)らしき人を 発見・・・まさか村まで歩いていくのかなぁ〜まさかな・・・とりあえず車上から撮影させていただきました。

なにやらおいちゃんが説明を始める・・・ところが殆ど意味が分らないと思っていると この石碑の前でちょっと停車・・・はてなんだろと?と見てみれば・・・三国志演義で有名なる漢寿亭公 関羽 の息子 関索の奥さんのお墓でした♪
墓碑には「漢 将 軍 索 妻 関 夫 人 之 墓」と彫られてあります♪
全然この方の故事を知らないので調べてみることに・・・でありました先ずは関索ですが・・・どうも正史には 登場せず・・・架空の人物との説が有力らしい。
でこれで終っていてもしょうがないのでもう一歩 踏み込むと・・・

「1967年、上海市の知覚の嘉定県に明の時代の墳墓から 『花関索伝』(『花關索傳』)という書物が発見された。 これは次の4集を1冊にしたものである。
1:新編全相説唱足花関索出身伝 前集 (花関索の妻で鮑三娘なる女傑が登場している。)
2:新編全相説唱足花関索認父伝 後集
3:新編足本花関索下西川伝 続集
4:新編全相説唱本花関索貶雲南伝 別集
Wikipediaより抜粋
関索君(花関索)が大活躍するお話で・・・封神演義に近いテイストのようです ´・ω・`まぁ・・・機会があれば読んでみたいです>w<)b
さてココで少し手がかりを発見・・・↓に続く
↑からの続き・・・何故かと言うと・・・この墓碑も上の墓碑の傍らにありまして・・・ 写真ではなんて彫ってあるか読めないと思いますが、「鮑三娘之墓」 と彫ってあります。おぉ・・・繋がりましたね (*ノ∀`*)ァハw  まぁ・・・上記の本を読んでないので それ以上は分りません(爆
といわず調べてみると私が行った当時よりかなり?後にココに行った方のHPを発見 「鮑三娘」でググルと出てきます、興味を持った方はそちらも見てみて下さいな・・・詳しいお話がのってます。 ただ・・・上記の本からの出展ではないので話が違うようですwまぁ色々な文献があるということですね♪ あと・・・もう1つ傍らか近くにもう1つ石碑がありまして(写真なし^^;)・・・「義渡」と彫ってあるも これについてはさっぱり分りません^^;おそらく・・・関索&鮑三娘の物語に出てくるのだと思う(単なる憶測です) が・・・手がかりなしです・・・´・ω・`・・・・<後日>ちょっと調べた所では全然関係ない感じぽ´・ω・`

昭化古城に到着です♪三国志演義では後に蜀の五虎将になる有名な 豪傑二人である馬超vs張飛が一騎打ち(架空)をしたという葭萌関はこの辺りらしいと友達に聞いたのは後日のこと・・・ そもそもここに訪れたのは広元の「皇澤寺」(中国唯一の女帝「武則天」(日本では則天武后)が建てた寺)と「千仏崖」 (岩肌に穴を穿ってその中に仏様が安置されてます)を見ようと友達と出かけてきた所、現地で買った地図に城壁がある場所を 発見し来る事に・・・というわけで情報を全く持ち合わせておりませんでした^^;
当時の中国では日本のように大概の事が載っている旅行ガイドブックなどは無く、行った場所で買った地図等にて色々な 発見があるというのが当たり前でした^^基本的には行き当たりばったりというわけですが 当時は観光地が整備されていることも少なく(大都市や有名な遺跡は別)情報も無い時代の話です^^;;
現在はネットで 旅行記を書いている方も数多くいらっしゃるので結構簡単に情報が手に入りますねぃ(ーωー`)便利便利
城門@
これは到着した↑城門の上部を撮った写真ですがなんて書いてあるか不明・・・現在はネットで 検索すると私が行った時期より後に行った方の写真を発見・・・すると色々と修復?がされており傍らには石碑が立っていて 赤い文字で「昭化」とかかれていたりしているようですこの上部のプレートも赤字で書き換えられているようですが そのサイトの写真が小さいので結局なんと書いているのか不明のままです(ーωー`) 城門@
城壁の中の町並みです^^
人が少ないですねぃ〜ってか街自体がかなり小さくて家は30件ちょいくらいなもんだったと記憶してます。 古城に来る前の写真でも判る沢山ある麦畑?の収穫したものをここで袋に加工(?)しているようで 宝輪の街に沢山トラクターが止まっていたのはこの収穫品を昭化古城から運ぶために止まっているという訳 のようです。当然ながら観光地化は全くされておりませんので観光客の為の交通やら施設などは存在しておりません。 ただ乗せてもらったトラクターの運転手のおじさんが色々説明をするところを見るとポチポチと ココを訪れる旅行者もいるようですね・・・日本人が来ているかどうかは怪しいですがw
城壁A
城壁Aを町の内側から 撮影した所です♪
↑の城壁Aを抜けたところに何かがあるらしく運転手のおっちゃんが向こうへ行ってみろと 盛んに言うので行ってみると・・・そこにはポツンと碑が立っているではないですか〜さて何これは?と 見てみれば・・・・「漢大将軍ヒイ(←漢字がでないぽん)之墓」と掘られていました(たしかそうだった 気がします(おぃ)
ヒイは歴史シミュレーションゲーム光栄の三国志等でおなじみの蜀(劉備方)の武将で諸葛孔明に 信頼をされて孔明死後に蜀を支えたお偉い方ですw詳しくは他のサイトでお調べ下さい(ーωー`) ←面倒くさがり
うろ覚えながら地図を描いてみましたが・・・ なんせ1991年頃に行ったきりなのと当時はインターネット で公開、よりにもPC音痴の私がアップするなどとは予想できるわけも無く・・・
いい加減に見て回っていたのでかなり勘違い地図になっている 可能性は大ですので〜(ーωー`)こんなことになると分っていればもっとちゃんと見て回ったのになぁ〜 後悔先に立たず・・・_|~|O

なんじゃこれは?と思われるでしょうが・・・ 実は昭化古城に行ったあと剣門関に行ったのですがなんと!!カメラの電池切れのため一枚も写真が 撮れませんでした_|~|O。「電池買えばいいじゃん?」と思われるかもしれませんが・・・当時はこんなかな田舎の 町?村?にはリチウム電池なる文明の利器などは売ってるわけも無く・・・断念したというわけです。 実は剣門関には畑の中にポツンとあの三国志で有名な姜維の墓があるんです 【ノд‐。】スンッスンッ あ〜写真撮れなかったのは残念の極みです(泣き
←因みにこれはその時に泊まった宿のサービスの朝食券 裏には剣門関??招待所〜〜との判子を押されております。剣門関の写真が無くて悔しいのでこれだけでも アップしてみました(ーωー`)宿代は確か2人部屋で一人5元だったかな?当然他にはお客さんはいませんでしたw

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